指の話2 指を「開く」とは?(2019/5/26更新)

・2017/08/22更新(指の話3へのリンク追加)

『張韶老師の二胡講座:下巻』123ページのコラム「小指まとめ」の冒頭に、「指を開くとは」という一文があります。
表題の「小指」とは関係がないのだけど、「小指が届かない」という前に知っておきたいことなので、ここに記しました。

ただ、いろいろ表現を工夫したり、原稿をチェックしてくださったさとうさんからアドバイスをもらって文章を書き直したりしたけど、やはり分かりにくかったかもしれないので、補足しつつもういちど内容をまとめてみたいと思います。

・2019/05/26更新

この日にツイッターでつぶやいたあと、二胡レッスンがあり、その時のツイートに載せた写真を生徒さんにお見せすると、「とても参考になった」とおっしゃってくださったので、本文の末尾にちょっとそのツイートを書き直したものと写真を掲載しておきます。ついでに、レイアウト等も変更しました。

コンテンツ

●「指を開く」とは?

●「開き方」の何がどう違ってる?

●子どもにどう説明する?~一年間の格闘

「指を開く」とは?

まず「指を開く」の「指」を定義してみる。
開く必要があるのは、左指で弦に触れている箇所の間隔(中国語で「指距」)だ。
その、左手で弦に触れている箇所をとりあえず「指先」と名付け、
「指を開く」=「指先と指先の間をひらく」としよう。

ピアノのばあい、指と指の間を開けば、指先が開く。

でも、二胡のばあい、指は指の付け根の関節(中手指節関節)で曲げている。
だから、指と指の間を開けば、かえって指先が閉じてしまう。

指を曲げると指先が集まる、というのは『ヴァイオリンを弾くための身体の作り方・使い方:基礎編』120ページにも記載があります。

指を曲げるというのは、人間という生き物にとってはおもに何かをつかむ・つまむ時に使う動作です。
だから、指先が集まった方が都合がいいのです。

実は、私もしらずしらずそれをやっていたみたいで、杉原先生に習い始めた初期のころ、その点を指摘されたことがありました。
特に左手三指がまるまって、ほぼ横向きになってしまってたみたい。

ではどうするかというと・・・

な感じ。指の間を開くというより、指を上下にずらすというか・・・。
なんとなく、南京玉すだれのイメージです。

ヒトによって違うと思いますが、私はまずすべての指を、指の付け根の関節(中手指節関節)で軽く曲げます。
(ただ、ほんとうの指の付け根はそこではないのですが・・・指の話3 も参照して下さい)
そして中指はそのままで、人差し指を少し持ち上げます(赤い矢印)。

すると、人差し指の爪がだいたい中指の第二関節のあたりにきます。
そして薬指を、第二関節がだいたい中指の爪のあたりにくるくらいに下げます。
(小指も中指と一緒に下げます)。
これらの指は、人差し指の青いラインが曲がっていることで分かるように
すべて指の付け根の関節から屈曲している状態を保っています。

繰り返しますが、これもヒトによって違うと思います。

「開き方」の何がどう違ってる?

これらの動きを、解剖学的にどう理解できるか、調べてみました。

ピアノで指先を開く動作は「指の外転」です。
(使う筋肉は、手のひらのなかにある筋肉(手の内在筋)の1つである背側骨間筋)
この動きは、てのひらの中から起こっています。

一方、二胡で指をずらす動作は、まずは「指の屈曲」をしたうえでの動きです。
屈曲している箇所は、おもに指の付け根の関節=中手指節関節です
(使う筋肉は、手のひらの中にある筋肉(手の内在筋)の1つである虫様筋)

で、『動きの解剖学』169ページによると、中手指節関節についている靱帯は伸展でゆるみ、屈曲で緊張します。
なので、屈曲時には内外転・回旋の動きが制限され、受動的な動きが主になります。

つまり、曲げているときは指が集まることは前述しましたが、そこからさらに指を開こう(外転しよう)としても、その動き(能動的な動き)そのものが制限されてしまう、ということです。

一方、指を軽く曲げた(屈曲した)ときの受動的な内外転・回旋の動きは、つまりは、つかむ物の形に沿わせるということになります。
だから、いろんな形のものも、それぞれの形にふさわしい指の位置でつかむことができるのでしょう。

一方で、屈曲が増すと順応性が低下していき、屈曲が最大になると内外転・回旋すべての動きができなくなるそう。
それは言い換えると、固定力が増すということで、だから、力や勢いが必要な動作に適合するのです。

ほんとうに、自然の仕組みってほんとうによくできているなあと思う。

このような、人間が本来備わった動きを理解し、その設計を利用してラクで能率的な動きを探求する――。

このことは、アレクサンダーテクニークを構成する大きな要素だと思っています。

子どもにどう説明する?~一年間の格闘

さてさて、ここからが2019年改稿分なのですが、以上のことを小学生低学年の子に教えよう、となった。

下の写真の1枚目のような形だと、上述のように指先が集まり、どうしても全音がとれない。子どもの小さな手ではなおさらだ。できれば、2枚目の写真のようになってほしい。

最初のうちこそ、「大人も子どもも同じニンゲンだ、きちんと言葉にしてつたえよう」と、可能な限りの易しい言葉で、自分の手を使いながら、ときには本人にやってもらいながら、一生懸命説明した。

しかし、返ってきたのは・・・

「それは大人しかできないんでしょ!」「それだと二胡が重いよ! 支えられない! 倒れちゃうよ!」「ぜったい無理!」という容赦ない反撃。

図を描いたり、傘や水筒などを手で持って指の形を示したり、指にばかり着目するからダメなのかな、と思って「手のひらを下に向けてみて?」と誘導したり、琴棹に本人の好きなシールを貼って「お姉さん指はパンダさんシールのとこね」と示したり・・・

しかし、なにをやってもダメで、私は幾度となく撃沈されました。でも、それにこだわりすぎると、必ずしも自分の意志で教室に来ているわけではないこの子は、きっと二胡自体がイヤになってくるかもしれない・・・。

だから、教室でいろんな遊びをやった。

かくれんぼしたり、でんぐり返りしたり、その子からヨガ(?)習ったり、タオルハンカチでテニスしたり、ホワイトボードにお絵かきしたり、数字譜カードで七並べしたり、音叉をお部屋のあちこちに当てて実験したり、骸骨君で遊んでもらったり・・・

音楽に関係ないことも関係あることも、何でも思いついたらやった。その子がアイディアを出してくることもあった(七並べとか)。すごく独創力あるな、と感心することが何度もあった。

そして、遊びの隙?をねらって、時々、なんとか二胡に誘導することに成功。

ちょっとでもいいから、二胡に触れてもらうことを目標にしながら、そのわずかな時間を使って、小出しにしていく指のレッスン。

それでも、なにを試しても撃沈続き・・・泣きそう・・・。

***

で、ある日のレッスンで、ふと思いついて、ガーゼを貼るときなどに使うテープを小さく切ったものをいくつか用意して、持って行った。

そのテープの細切れと、本人にペンを渡して、「このテープに好きな顔を2つずつ描いてね」と。

「え~なにすんの~?」といいつつ、お絵かきが好きなので、ちっちゃなテープにちっちゃなお顔をかいていく。時にテープから絵がはみ出たりして、きゃ~きゃ~言って楽しそう。よしよし、ここまではOKだ・・・。

そのあと、その子の指のいくつかの箇所に、顔を描いたシールをペタペタ貼っていく。そして、「同じお顔どうし、くっつけてみて」と。

いま、家にちょうどいいシールを見つけたので、わたしが自分で顔を描いて、その動きを再現してみます。

前の開き方をしたときは、「お顔が遠くに離れちゃうよ~」と悲しげに訴える。

その日はほとんど二胡に触れず、遊び感覚で「ゆびのうんどうだよ!」と伝え、おうちでやっててね、と帰り際に声をかけた。

***

そして、その次のレッスン。

その子が「にこたいそう、ちゃんとおうちでやったよ!」と自分から言ってきた。あ、この動きは「二胡体操」なのね、じゃその名前使おう、と心の中で思って、それをやってもらった。

上手にできてるね!

そのあと、そっと二胡に誘導。いつもの持ち方をしたので、「にこたいそうの指、やってみようか?」と声をかけたら、そのかわいらしい指がすっと縦に伸びて、琴棹につけているシールと同じ位置におさまったのだ・・・・。

ほんとに、拍子抜けくらいするくらい、あっけなく、うまくいったのだ・・・。

その瞬間、わたしは嬉しいというか、もうホッとした。

まあ、弾いているうちに、またもとの手の形に戻ったけど、今回はもううるさくは言わず、その日は小学校でいま流行っているという「パプリカ」という歌(わたしはぜんぜん知らんかったけど)の前半部を数字譜に直して、それを二胡でひいて楽しんでもらった。

時間が来て、保護者の方が迎えに来られて、その子は「バイバイ」するとさっと前を向いて未練なく帰って行ったけど、わたしはほんとうにへなへなとその場にへたりこみそうな感じだった・・・・。

いまはこのことを心からお祝いし、しばらくはこの形が定着するよう、様子を見ていこう。

そして、その次は、小指だよ・・・

はあ。まだまだ前途多難な日々は続きそう。

でも頑張るぞ!!!

***

なんか躍動感ある

寄ってきた

いいこだね~(岩合光昭ふうに)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする