喜送公糧

今回は、2017/9/27の「二胡を楽しむ会」のラストで演奏した曲「喜送公糧」の話をします。

「二胡を楽しむ会」でもちょっと話したことなのですが、私はこの曲を
旅先で買った閔惠芬のテープを聞いて知りました。

当時、二胡はまったくひけず(というかどういう楽器かも知らなかった)、
とうぜん、この曲の背景もぜんぜん知らず、
短調であることから、なんか悲しげな曲だと思ってしまったのです。

(これも、小学校で習った長調/短調の刷り込みによるものでしょう。
「小ぎつねコンコン 山の中 山の中」と楽しげに歌う曲(下の1行目の譜面)を
「こぎつねコンコン 風邪ひいた 風邪ひいた」と悲しげに歌います(下の2行目の譜面)
ほんで、最初のが長調、次のが短調、という音楽の授業をいつも思い出すのです。
でも中国伝統音楽では、基本的に長調・短調の別はありません。例えば
上の譜面は、もし1=Dなら、普通はニ長調・ロ短調と呼びますが
中国音楽だったらどちらもD調になります。

しかし、実際には曲名をみたら一目瞭然ですが、これは「喜び」に満ちた曲です。
曲は1970年代、顧武祥・孟津津の作曲です。
この二人について、詳細は分かっていません。
いくつかの手がかりについては、『張韶老師の二胡講座:上巻』60頁に補足しています。

ただ、作曲された年代は、ちょうど人民公社があったころです。
農地も、農産物もみな「公(おおやけ)」のものです。
だから、彼らが喜んで運んでいるものは「公糧」なのです。

これを嫌ったのか、現代は状況が違うからなのか、
最近では曲名から「公」を省き、「喜送糧」と書かれているプログラムを
時折見かけるようになりました。

このような言い換えに、「紅軍哥哥回来了」→「哥哥回来了」
「戦馬奔騰」→「万馬奔騰」というのもあります。
前者は「紅軍」つまり共産党が労働者や農民をあつめて作った軍隊の名を
削除することで、政治色をなくしたもの、後者の例は、
直接ある先生に伺ったら「戦争は良くないから」ということで
戦争に使う馬という意味の「戦馬」を「万馬」に変えたということでした。
ただ後者については、まったく別の馬頭琴の楽曲「万馬奔騰」と混同するので
やめたほうがいいかな、と個人的には思います)

のち留学に行き、二胡を習いはじめ、この曲を実際に演奏する段階になっても、
テンポの速いところの2つめ、3つめのメロディが、どうしても
いぜんの「悲しげ」という印象が抜けないままでした。

そして十数年の月日が経ち、ちょくちょくソロをひく機会に、
この曲をカラオケ伴奏を使って演奏するようになりました。

それまでは、再現部の速いテンポのところをひきこなすのが課題でした。
しかし今回は、前半部分の2つめ、3つめのメロディが
どうしても伴奏のテンポにおいつけないのが気になりました。

物理的にはひけるのですが、どうしても悲しい感情を込めて
ひきずるよにひいてしまうので、伴奏のテンポに
気持ちがついて行かないのです。

9月も半ばになってだんだん追いつくようになりましたが、
まだまだ、伴奏にせかされるような感覚が抜けませんでした。

でも、本番も間近になってやっと重い腰を上げ
配布プログラムを作っているときに、
改めて、この曲と向き合ってみました。

この曲の解説でいちばん感銘を受けたのが、
いま私が翻訳している趙寒陽『二胡技法与名曲演奏提示』の文章です。

喜び勇んで荷車を引く農民達。
エイホ、エイホ、とかけ声を掛けながら、足取りも軽快に・・・。
・・・てな感じで、趙寒陽さんが思い浮かべた生き生きとした情景を
ひとつひとつ思い浮かべながら、本番と思って練習していました。

すると、わりと最初の方、

の箇所にさしかかったとき、がたん、と地面のでこぼこに乗り上げた感覚があったんです。

1970年代の中国。そして農村。
荷車が通るのは、きっと舗装はされていないだろう道。
時空を越えて、彼らの感覚が自分に伝わってくるような・・・。
なんか、ちょっと嬉しくなりました。

ちなみに、この装飾音は譜面によってはついていないものもあるみたいです。
その証拠に、趙寒陽さんの本では譜例を挙げて
「躍動感を加えるためにこのように装飾音をつけてもいい」と書いていたからです。

ほんで、懸念の再現部の速いところです。
ここはBodyChanceで習ったメソッドを使うことに。

これまでのように「間違えないように」「ちゃんとひこう」では
何をするのかが明確ではないので、そうではない別のアプローチを考える、
そのためのさまざまな新たなプランを、BodyChanceの多くの先生から学んできました。

で、ここでは「どうひきたいか」という望みを明確にするため、
この部分が表現するものを考えてみることにしたのです。

休憩を挟んで元気百倍の農民達が荷車をひく速度をスピードアップさせる、
というのが趙寒陽さんの解釈ですが、私はさらに、
荷車同士で競争をはじめるイメージを加えたのです。

これは、海外招聘講師の方にうけたアクティビティが元になっています。
そのとき私は、生徒さんのために「賽馬」のピアノ伴奏をする予定がありました。
そこで、簡単に「賽馬」の曲説明をしたあと、
自分は生徒さんの演奏をもり立てるためにピアノ伴奏をひく、
自分のミスで生徒さんの足をひっぱりたくないから、
どうやって生徒さんに合わせていけばいいのか、と先生に言いました。

そしたら、「生徒さんが主、あなたが従、つまり生徒さんに合わせていくのではなく、
あなたも一緒に、競争しなさい!」という意外な指示が。

まさに、目から鱗でした。

今回、自分は伴奏ではないけど、ふとこの言葉を思い出し、
荷車をひくスピードをアップさせる状況として、
農民達を競争させたらどうか、と思ったのです。

そしたら、いつもここに入る前の恐怖感がなくなって、
ほんとうに楽しく演奏できたのです。初めてのことでした。
(ただし、そこを弾き終わった直後「やった!」と思ってしまったので
そのあとをミスってしまいました・・・とほほ)

なので、みなさんも、もし似たような状況があったら、
ちょっと遊びがてらで結構ですので、
このようなプランを試してみて欲しいなあと思いました。

**********

上記の「二胡を楽しむ会」のあと、10/11のグループレッスンがありました。
その帰り、四天王寺から天王寺に向かう路地で出会ったねこ。

右端に杖の先端と足が映り込んでいます。
これは通りすがりのおばあさんで、なんかねこに話しかけていました。

ねこの餌が入っているのは・・・枝ごとついてるミニトマトが入っているやつだ!
うちの近所のスーパーでも同じのを買ったことがある。

このあと、配達中の郵便局員さんと談笑するお店のおじさんたちとか
わりとほのぼのする光景をいくつか見かけました。
そういう下町の一風景のなかで生きるねこ。

餌やり禁止、の立場もよくわかるので私は餌はあげたことないです。
でも、いつも遊んでくれるのらねこたちは、
誰かの餌やりで生きのびていることもわかっています。

イリオモテヤマネコとかツシマヤマネコなどを別にすると
日本にもとから住んでいた猫はいません。
だから、ここにこのねこがいるのも、もとはといえばどこかの誰かの飼い猫がルーツ。

それに、地球は人間だけのものではないし。

なので、せめて同じ地球のとある一画に、同じ生き物として
ヒトとねこが共生できればいいなと思っています。

でも、ねこと共生したいならほかの生き物はどやねん、
G(ホイホイとかで捕まえるヤバイ虫の頭文字)と共生できるのか、とか、
ネズミはどや、とか、じゃあかわいければいいんか、とか問い詰められると
なにも答えられなくなるのが難点ですが。

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