《コンテンツ》
●「望み」によりそう
●「動き」の専門家
●AT+専門性
●その他個人的な興味
2018年3月21日(水)、神戸大学で開催された「アレクサンダーテクニークの実践と研究~バジル・クリッアー氏を招いて」を聴講に行きました。
●神戸大学人間発達科学部の告知ページ
http://www.h.kobe-u.ac.jp/ja/node/4924
午前中は中之島の東洋陶磁美術館「唐代胡人俑」を見て(フラッシュ切ったら写真取り放題だった)、市役所横にいたねこをなでて、淀屋橋でお昼を食べてから神戸に向かいます。
六甲駅には予定よりかなり早く着いたのに、道を間違えて六甲ケーブル駅まで行ってしまい、5分くらい遅れてしまいました。
●これは神戸大に行く途中(このころはまだ元気だった)に見つけた石碑。なんて書いてあるか分からない。
バジルさんにはBodyChanceで何回か直接レッスンを受けたことがありますが、今回、わざわざ坂道を登って(いい運動になった)神戸大まで行ったのは、アレクサンダー・テクニークを知らない人々にバジルさんがどのようにこれを紹介したり使ったりするのか、そして人々はこれをどのように受け取るのか、ということを知りたかったからです。
なので、今回の文章は、あくまでも上記のような視点からみた、現在の私の個人的な感想になります。
また、録音などはとってないので、やりとりなどは私(物覚えの悪さには自信あり)の曖昧な記憶に基づいており、バジルさんが「そんなこと僕言ってない・やってない」ということを書いてしまっている可能性もあることもご承知下さい。
そのなかには、将来の私が「2018年の私ってこんなふうに考えてたん?」といぶかしげに思うという可能性も含まれています。
「望み」によりそう
私が特に感銘したのは、バジルさんの立ち位置がとても明確だったことです。
ちょっと遅刻はしましたが、私が到着したときは、バジルさんがみなさんから質問を聞いていく場面でした。
でも、日本人の特性として、なかなか最初に手を挙げるのは難しいですよね。
ほんなら指名制にしようか、と。
それも、小中学校の授業で学校の先生が「順番に当てていくから答えなさい」的な感じではなく、「最初はなかなか言いにくいもんね、じゃあ順番に言っていく?」てな、参加者に配慮している気持ちが伝わってきました。
参加者から先に質問をつのることは、もちろんその場にいる方々の興味・関心についての情報集めができるというのもありますが、私の印象では、参加者に先に声を出してもらうことで、「発言しやすい」場の空気が醸成されたように思います。
なにより、バジルさんの立ち位置が明確になります。
バジルさんは、参加者に対して一方通行に知恵を授ける「講義」をするヒトではなく、みなの興味関心、要望によりそってやっていくヒトですよ、という立ち位置です。
また、この場はあくまでも大学の授業の一環として開催されているものなので、ふだんは言わない「楽屋裏の事情」も話してますよ、ということも随所に見られました。
「場」を知るということの重要さはBodyChanceの先生方は良くおっしゃいます。それは、空間としての「場」と、参加者の性質という両方を含んでいます。
例えば、アレクサンダー・テクニークについて知りたくて来る参加者と、企業とかの研修で特に興味がなく来させられる参加者では違う、そんな感じです。
さらにそれが、中学生の吹奏楽部員対象か、大学の講義対象でも変わってくるんだなあと。
これは個人的にとても興味深かったです。
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公開レッスンの対象者はクラリネット、コンテンポラリーダンス、バイオリンの計3名が予定されていました。
さらに、終了後の延長戦?に、ホルンの学生の追加レッスンがありました。
んで、最初の実習レッスンのクラの方ですが、相談を聞いていきなり面食らいました。
「演奏時に動きすぎる」というのです。
ふつう(?)は固まってしまうほうやんなあ・・・動きたくないって、でも動きとめたら逆にやりにくくなるんちゃうか・・・そういえば高校の吹奏楽コンクールの県大会で、他校のフルートの子がぐるぐるぐるぐる上半身を回してたのが印象的だったなあ・・・あれ、あれって中学のときやったっけ・・・?
「バジルさんではなく自分が相談されていると思って真摯に観察しよう」と思ってたのが、いきなり雑念でいっぱいになり、意識がいま・ここでないどこかへ行ってしまいます。
いかんいかん!
気づいたら、バジルさんがいろいろと情報集めをしてました。
それは自分の印象なのか、他人の印象なのか、自分ではどういう認識をしているのか、どういうときにそれが気になるか、とかとか、ああ、そういうところも聞くんだなと。
そして、私が思ったような「動きたくないって、でも動きとめたら逆にやりにくくなるんちゃうか」という懸念も、彼女の本当の望みに沿うかどうかという観点でもって、バジルさんなりのことばと表現で、彼女自身に伝えていました。
そうか、これは懸念でなく確認なんだ、あくまでも大事なのは彼女の本当に望むこと。
そして、それがバジルさんの定義するアレクサンダー・テクニークの前半部分「やりたいことをやるために」につながります。
やりたいこと、つまり望みについては、参加者さん本人があいまいだったり、ある望みをかなえることが別の望みの支障となったり、実は本当に望むことは違うところにあったりします。
でも、それを指摘するのではなく、会話のやりとりによって参加者自身が気づく形で、一緒に、丁寧に考えていくのだなと。
ほんとうの望みはよりよい音色にある、ならば、それをジャマしているのはなにか。
それを、バジルさんの鋭く細かい観察で明らかにします。
しかもその動きを「正しい動き」に修正するのではなく、呼吸をじゃましている動きが、彼女のどんな思い(思いこみ)・考えからくるのかを明らかにします。
そうか、そこが解決されないまま、ただ「こうしなさい」で改善してもダメなんだ。
本人が新しい動きに対して「なぜそうするのか」が心の底から納得できないままだったら、それを持って帰っても、いつか自分の奥底にある思い込みによってまた元に戻ったり、違う形になってしまうかもしれない。
さらに、ただ「前よりいい音がでた」というだけだと、その時の「感じ」を再現しようとてしまう。そうではなく、それができたときの動きの「プロセス」を大切にしているんだなと。
また、「気持ちを込める」という、実際の動きに還元できない気持ちも、時に自分の思っているものとは違う形で動きに影響する(してしまう)ことも良くわかりました。
「動き」の専門家
クラリネット・ホルンは、ホルン奏者のバジルさんの専門領域でもあります。
一方、バイオリンは弦楽器、まあそれでも楽器ではある。
しかし、ダンスに至っては、バジルさん曰く「ぜんぜん分からない」。
なのにレッスンができるのは、バジルさんが「動き」の専門家であるという立場を明確にしてらっしゃるからです。
そのことは、冒頭の質疑応答のあとで、バジルさんが簡潔にアレクサンダー・テクニークを紹介する上でおっしゃいました。
やりたいことをやるために、どう動くか、ということを探求するんだと。
これはBodyChanceでも、いや、あらゆるアレクサンダー・テクニークの立場でもあるのですが、身体のしくみを知り、それにかなった効果的な動きを探求するものです。
だからこそ、音楽・ダンス・スポーツのみならず、パソコンをうつ、カバンを持つから、歩く、座る、食べる、飲むなど、日常生活のあらゆる「動き」に使うことができるのです。
そしてその探求には、身体の構造、なかでも、特に頭-脊椎(背骨)のコンディションに着目しながら、ヒトが身体をどう使っているのかを見る観察力、なぜそう使っているのかを見抜く洞察力が必要です。
で、私がなにより大切だと思っているのは、それは「正しい」使い方を教えるのではなく、あくまでも「こうも動けますよ」という「選択肢」を示すということです。
アレクサンダーさん本人も、「刺激に対する反応を選択できる」ということの大切さをおっしゃっていたような。
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で、次はダンスの方もクラの方と同じように情報あつめ。
それから実際の動きを見、それから再び情報あつめ。一連の動きから特に彼女自身が困難を感じている箇所を彼女本人に聞いてから抽出します。
まさに、「生徒さん自身が情報を持っている」ということが良く解ります。
それらの情報と、動きに関する観察から、彼女の困難は、バジルさんがおっしゃっていた「難しさを感じる3つの理由」のうち、「動きに対するプランがない」ということにあるかも、という仮説のもと、実験をしていきます。
動きのプランがないのでそれを作っていくのですが、それは彼女への質問の答え(彼女がダンスの先生から指摘された内容を含む)と、彼女自身の動きの観察に基づいて提案されます。
そのプランが有益かどうかというのも、参加者さん自身の判断です。
取り入れたいと思ったら取り入れてね、というスタンスです。
一方で、はっきりしているのは、バジルさんは、自分が手助けできることとできないことの区別を明確に示しておられるということ。
ダンスの先生に教わるような表現とか基本動作とかは、ダンスの専門家でないと無理。
アレクサンダー・テクニーク講師が提供できるのは、あくまでも「動き」に関すること。
それを、最初に断っているのです。
教える方はダンスの専門家でなく、動きの専門家であることを明確にし、
受ける人も、それを納得して受けている。
そして、専門家ではない視点で、新しいアイディアを提供すること。
これは、このレッスンのあとに会場から寄せられた、ダンスの専門家らしい聴講者からのコメントでよりハッキリしました。
この方はダンスの先生がおっしゃっていることの意図が分かるので、もどかしさも感じていたものの、逆に専門家では思いつかないような視点が示され、とても興味深かったそうです。
BodyChanceで学んでいる方には、もちろん講師の方と同じ楽器を専門にやっている方もいます。
でも、その中には「あえて楽器関係ではない先生からアドバイスを受けるようにしている」という方も。
これは、入学したばかりの私にとって驚きでした。
だって、ピアノの先生にそろばんを、そろばんの先生に水泳を、水泳の先生にお習字を、お習字の先生にピアノを習っているようなもんじゃないですか!
でも、そうじゃないんです。ぜんぜん違うんです。
それは、私自身がよく分かっています。
実際に、私がやっている二胡という楽器を専門としているアレクサンダー認定講師はいらっしゃいません。
しかし、私はほんとうに大切なことをたくさん学んでいるからです。
それは、二胡といえど、やはり「動き」であることに付きます。
そして、それはこれまでの自分が、あまりにもないがしろにしていたものでした。
だから、相次ぐ故障に見舞われたのも、むべなるかな、でした。
AT+専門性
ただ、それはそれとして、もちろん、専門性を持つ強みはあります。
それは、正式な公開レッスンが終わった後に延長戦として行われたホルンの方へのレッスンで感じました。
最初は、身体の使い方から。楽器を持ち上げ方はいくらでもあるけど、どうやったら「お得」(by バジルさん)なのか・・・これはアレクサンダー・テクニークの方法。
そして、アンブシュア。これに関しては、バジルさんの徹底的な情報集めと研究の蓄積が背景にあります(例えばこれってすごいなと思いました)。
私がアレクサンダー・テクニークの講師資格を取ろうと思った動機はいろいろありますが、そのうちの1つに、自分の専門ではない分野でもアドバイスができる、ということがあります。
例えば、西洋楽器はたくさんの専門家がいるけど、それに比べたら、二胡やその他の中国楽器の専門家は少ないです。なので、そういう楽器の方にも身体の使い方や呼吸などについて、なにか良きアドバイスができるようになれればなあと。
でも、AT講師の訓練もかさねつつ、同時に、専門の楽器(私の場合は二胡)についての知識・洞察もやって、どうやってこの2つを結びつけていけるのかという探求も、もっともっと、必要だなあと感じました。
いまだATの入り口あたりで逡巡している自分にはかなり壮大?な目標なのですけどね。
その他個人的な興味
●音の響きを聞く
クラリネットとバイオリンの方の変化は、実は私には良く解りませんでした。
これは、変化がなかったのではなく、私が聞き取れなかったからです。
その証拠に、会場の方は「変化があった」という声が圧倒的でした。
そんな私でも、ホルンの方の音の変化は分かったのです!
彼の喜びは、そのまま私の喜びでもありました。
一方で、どうやってそれを養うかというのは、ツイッターにも書いたことがありますが、今年の私の目標の1つでもあります。
公開レッスンで受講者の方になさっていたようなことと、隣に座ってらっしゃった同じBodyChanceのトレイニーが下さったアドバイス「響きをきくってことと、自分全体で聞くってことは同じことちゃう?」というのをヒントに、落ち込んだりあきらめたりせず、地道に訓練していこうと思います。
●言葉・発言の引き出し方
最初にも書きましたが、発言しやすい雰囲気作りがなされているなあと随所に感じました。
質問を募るときも、レッスンの順番を決めるときも、レッスンのすすめかたも、みんなが興味・関心をもって、発言しやすく、参加しやすくなるような、小さなしかけというか、工夫がありました。
なにより、一番びっくりしたのは、とりあえずの予定時間が終了しようというとき、帰る方に対してコメントはないかどうか尋ねられた時です。
なぜこの方が帰るって分かったんだろう??
やはり、細やかな観察のなせるわざなのでしょうか。
いろいろな収穫と疑問とをいっぱい背負いながら、私は六甲山の下り坂を、今度は道に迷うことなく、軽快に駆けおりていったのでした。
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市役所横にねこが。逃げられるかなと思ったら寄ってきた。
マイペースだなあ。