「気づき」のクセについて

《コンテンツ》

●ダメなところほど気づきやすい
●できるところも気づきたい
●気づきのクセに気づきたい

ダメなところほど気づきやすい

レッスンをしていると思うのですが、人は自分の悪いところにはすぐ気づきます。

たとえば一度ひいてみて、「なにか改善したいところはありますか?」とおたずねすると、いくつもの「問題点」が数え上げられます。

一方で、「では先週ひいた時よりもよくなった点についてはなにか気づきましたか?」というと、なかなかでてこないものなのです。

たとえばある方は、「前回からほとんど練習できなかった」とある曲をひきはじめました。そして、改善点をうかがうと、いろいろ出てきましたが、「では、換弦が前回からかなりスムーズになっていることには気づきました?」と尋ねると、「え?」とおっしゃったのです。

実は、譜面の換弦の箇所に印が付いていました。前回、できなかった箇所です。

しかし、それが何の印か思い出せないほど、今回は換弦がうまくいっていました。

ほとんど練習していないにかかわらず、前回できないところができていた!

そんな奇跡があったのにもかかわらず、ご本人はそれに気づかなかったのでした。

けど、どんなことでも、いったん「気づき」の経験があると、次からは発見が早くなります。このレッスンが、生徒さんにとってそういうきっかけになればと思っています。

(なので、ときに「○○ができるようになっていました!」と笑顔で報告してくださると、私も嬉しくなります)。

できるところも気づきたい

悪いところだけ気づけるなら、それを改善していけば上手になるじゃないか。

よくなったところに気づく必要は無いのでは?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、うまくできないところ、いぜんよりもよくなったところ、どちらも「気づき」です。どちらの気づきもあったほうがよいと、徐々に私は思うようになりました。

なぜなら、どちらも気づけるということは、自分の演奏を客観的に聴けてるということだし、

どのくらいかけたらできるようになるのか、も分かるし、

いまの自分の「できる」の度合いは、本当に本当の理想の「できる」に、いぜんよりどのくらい近づけたのか、という具体的なところも分かります。

もし、「できる・できない」と二分してしまうだけの判断ならば、理想ではない自分の演奏はずっと「できない」のままです。何年経っても、何十年たっても、なんの進歩もないように思えてしまうでしょう。

しかし、「できる」の判断の精度が高まれば、ほんの少しずつでも理想に近づいていることが実感できます。この実感がとても大事なのでないでしょうか?

なぜなら、人間は機械ではないので、スイッチをいれたら動くようなものではないからです。人間にとっての一番のスイッチは、気持ちだと思います。

それが、できればプラスの気持ちであって欲しいのです。

たとえば

・もっと上手になりたいな。

・もっといい表現ができればなあ。

・もっといい音だしたい。

そういうのがプラスの気持ちです。一方で

・練習しないと先生から怒られる

・一緒に演奏する人に負けたくない

・自分の演奏が下手でイヤでたまらない

そういう、マイナスの気持ちのスイッチは、実は即効性があり、人はそれに頼ってしまいます。

そういう私も、マイナスの気持ちで自分を練習に駆り立てたこともありました。

しかし、だんだん、エンジンが切れてくるのです。

音楽が、演奏が、楽しくなくなるのです。

練習が、しだいに義務になってきます。

「練習したい」が「練習せねば」に変わっていくと、心も体も徐々に動きにくくなってしまうのです。

そして、そのことに気づかせてくれたのが、アレクサンダーテクニーク(AT)だったのです。

だって、ATは

・心と身体は一体のモノ

・なので、心が固まると、身体も動かない

という考えなのですから。

マイナスの気持ちで、自分を縛り、自分をいじめ、傷つけ、痛めつけて練習しても、心身を固めて動きにくくしてしまうことになりかねないのです。

スイッチをいれるどころの話ではなくなってくるのです。

気づきのクセに気づきたい

気づきのクセには、よいところは気づきにくいということと、もう一つあります。

人は、末端への気づきのほうが、体幹の気づきよりも多いのです。

というか、それがほとんどではないでしょうか?

指が回らないことにはすぐ気づくけど、頭脊椎を固めていることには気づかない。

このへんのことをケアするのも、やはりATです。

手や指など末端の動きにくさは、体幹の固めなどが影響していることが多いのです。

そして、先ほど

・心と身体は一体のモノ

・なので、心が固まると、身体も動かない

と書きましたが、これは逆もいえるのです。つまり、身体が固まると、心も固まるのです。

なにかイヤなことがあって、部屋で鬱々としているときに、思い切って外に散歩に行き、場所を変え身体を動かすと、気分も変わる事はないでしょうか?

頭を抱えこんでいるとき、ずっと同じ姿勢のままで身体が固まってしまっていることが多いです。心と身体が連動しているように、身体と心も連動しているのです。

なので、イヤになったら練習は止めましょう。きっと心のブレーキが身体のブレーキをかけるでしょう。無理矢理継続するより、隣の部屋でちょっとお茶でも飲みに行く方が生産的です。

逆に、悩み事があるときに二胡をひくとスッとするときもあるのは、演奏によって身体を動かすからかもしれませんね。

※イラスト出典:イラストAC https://www.ac-illust.com/

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