ホームでの演奏③プラスの感情をエネルギーに

コンテンツ

●話すことは気づくこと

●小さな目標を達成すること

●みんな大切な経験だと思うこと

話すことは気づくこと

ホームでの演奏②の続きです。

ホームでの演奏の翌日、その事を趣味の歌のレッスンの場で話しました。アレクサンダー講師でもある歌の先生のレッスンは「さいきんどうですか?」みたいな雑談から始まることが多いです。そこからレッスンにつながっていくこともあります。

自分が日頃感じていることや、最近の経験などを言葉にして誰かに話して聞いてもらうことで、はじめて自分が得たことを客観的に眺めることができたり、状況や問題点を整理したりできるということは、きっと多くの方も頷いてくださることと思います。

この日の気づきは3点。

1つめは、私はこれまでずっと、「アレクサンダーを肝心の本番の演奏の時に思い出せない」と自分で自分にダメ出しをしていたのですが、今回は、「本番中でなくても、移動中や、着替え中とかに思い出すことで、本番前にスイッチを入れられたから、いいやん」って思えたことです。

これまでやっていなかったことがやれた。そのことは確実に進歩です。しかし、私は「本番の、ひきはじめる前に思い出さねば」としか考えられなくて、「たとえその前に思い出しても、本番のひきはじめにちゃんと思い出さないと意味が無い」と思っていました。

けど、前述のように「これまでやっていなかったことがやれた」のです。すくなくとも、アレクサンダー・テクニークを学ぶ前には、演奏前の自分の身体の使い方なんて、そもそも顧みることすらしていなかったでしょう。

まずは脳の中に新しい回路をひとつつなげることができた。

そう思えたらいいのかな、と思いました。

小さな目標を達成すること

つめは、会場が縦長だったので遠い方もいらっしゃったけど、「会場のお一人お一人に届けよう」という望みが達成されたのでよかったと思えたこと。

もちろん、細かくみれば、いろいろなアラが見えてきます。

けど、達成できそうなくらいの低い目標を設定し、それができれば自分に「マル」をあげる。
マルを得てエネルギーを充填し、それを次のステップへの原動力とする。

そのサイクルを作ることが大事だと思いました。

くやしい、負けたくない、失敗したら怖い、下手だと思われたくない・・・

負の感情が人を動かす力は強力なものがあります。罰を与えることが示唆されると、人はそこから逃れたくて必死に行動します。

しかし、その即効性のある方法は、長い目でみたら継続力が乏しく、次第に自分で判断し、自分で選択し、前に進む力を奪うと思うのです。

だから、プラスの感情を利用する!

このことは、ただ単に「ポジティブ」とか「健康的そう」とかいうふんわりした良さというだけでなく、脳の仕組みからみても合理的だそうです。

詳しくは、最近(2024年末から2025年にかけて)よく旧ツイッターで紹介している『めんどくさいが消す脳の使い方』)の終章をごらんください。

マイナスの感情で自分を動かそうとしない。このことは私の2025年の目標の一つでもあります。

いずれは詳しく書いてみたいです。

みんな大切な経験だと思うこと

そして、3つめ。

本番では沢山のできてないこと・ダメだったことがありました。

以前の私は、ダメなことばっかり思い浮かんでガクッとしたり・・・

あるいは、せっかく良かったこともあったのに、「でも、ダメなことがあれもこれもあった」と、せっかく浮かんだ良いことを自ら打ち消すようにダメなことを数えあげて、最後には「ダメ」だけが残るという反省をしてしまいがちでした。

せっかく、悪かったことだけでなく、良いことにも目を向けられるようになってきたのに、それらを容赦なくぶった切るように、わざわざ「消して」いたのです。

しかし、今回は、良かったことも、ダメだったことも、比較的フラットに受け止めることができました。

そうすると、良かったことは心の中で反芻して自分の糧になります。
ダメだったことも、今後どう改善しようかと考えることで次への指針となります。

つまり、どちらも、かけがえのない、私の大事な経験なのだと思えるようになったのです。

それって、プラスの感情をエネルギーにしたことの副産物なのかもしれません。

こうなると、演奏でダメだったことを思っても、それは自責や自己否定につながらないのです。

改善点、いや、改善できそうなポイントを見つけることができた!と、むしろわくわくするような気持ちになってくるのです。

同じダメな点を見つけるにしても、ぜんぜん使われ方や心もちが変わってくるのです。なんか不思議な感じがします。

まるで・・・・・

まるで・・・・・

まるで・・・・・

なんか、食材と料理を使った、上手な例えを考えようとしたのですが、ふわっとしたイメージだけでぜんぜん具体的なことが思い浮かびませんでしたので、みなさんお一人お一人の心の中で、「なるほど!」と膝を打つような上手なたとえでもって受け止めていただければ、と思っております。

最後はまるなげしてすみません。

あっ、そういえば前のブログの最後に

いま思うと、「後ろの方まで届けよう」という気持ちが強いあまり、音が裏返ったり、音程がズレたり、いろいろ反省点はありました。

それについては、次回のブログでまた検証します。

って書いたのですが、そのことについて述べる余裕がなくなってしまいました!
この件については、また次に回そうと思います。
いろいろすみません。

↓呼びとめたら振り向いてくれた。

※上記の記事は、2024年1 1月2日2024年11月10日の旧ツイッターのつぶやきを再編集したものです。

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