自分を動きにくくしている思考に気づく

●自己否定につながっている?

●「何」を「どう」改善するか?

●感情をからめない

自己否定につながっている?

昔、なんかの媒体で、こんな文書を読んだことがありました。
「音楽をやってる人の中には、演奏に課題があることを、人格の否定とイコールで捉えがちだ」
と(具体的にどのような文章だったかはうろ覚えですが)。
そんな怖いことが…と思いますが、プロになるために厳しい指導を受けた方の中には、間違えたら指導者から手をビシッと叩かれたり、できないことを激しく罵倒されるという経験がある方もいらっしゃるようです。
(映画や漫画などでもたまに見かけるシーンです)
私はそんな怖い思いはしたことがありません。それはラッキーなのですが、じゃあ健やかに音楽と関わっていられてるかというと、そうでもなく、自分自身が、なんかあると自己否定で終わってしまう傾向があることに気づきました。
つまり、その心身への「暴力」が、他人ではなく、自分に向けられる時もあります。
ある曲がひけるレベルに達していないとか、あるテクニックができないとか、なにかの本番でミスしたりとかすると、それは、「演奏」という非常に限定された範囲でのことなのに、「自分はダメなやつだ」と人格そのものを否定するところまで行ってしまったりする場合があるのです。
よくちまたで言われる駄洒落?がありますよね。
「音楽が、音が苦になる」
まさにそんな感じです。

「何」を「どう」改善するか?

私は走るのが遅く、運動に対して苦手意識はありますが、だからといって、50メートルを7秒台で走れない自分が「ダメなやつだ」と思ったことはありません。あくまでも、運動に限ったことだからです。
しかし、音楽となると、そうではなくなりがちなのは、なぜなのか。
いや、音楽に限らず、人との関わり方や、片付けられないとか、時間の使い方とか、「自分がダメなやつ」認定するトピックが、音楽のほかにもいくつかあることにも気づきました。
自分に何か課題があって、それを解決したいと思ったとき、どうやって健やかな自尊心を保ちながら、それに取り組めるんだろうーー
いぜん、毎日のつぶやきの中で、この話題を取り上げたとき、改めて考えてみて、そのポイントを2つに絞ってみました。
①「何を」「どう」改善するかを明確にすること。
注意や指摘を受けると、もう全面的に「だから私はダメなんだ」と思ってしまいます
自分の存在自体ではなく、ある行為が人に迷惑をかけたのなら、それが具体的に「何」で、どうすれば防げるかを考え、それを試してみます。
それがうまくいかなくても、その方法以外の選択肢を考える材料にはなります。
音楽を例に考えてみましょう。
レッスンにいらっしゃった生徒さんに、「どうですか?」とおたずねすると、「とにかくなにもかもできていない」「全部ダメ」ということばをレッスンで聞くことがあります。
しかし、それは事実ではありません。
なにもできないなら、そもそも、音を出すことすらできないはずです。
音は出せている。ここが出発点です。
そのあと、
ここがひけない。
はやくひけない。
装飾音を入れてひけない。
ポジション移動でずれる。
などの具体的な課題が出てきます。それを、レッスンの場で、ひとつずつ裏返していきます。
つまり、
ここならひけている。
ゆっくりならできる。
装飾音を取ったらできる。
ポジション移動がないところでは安定する。
などです。
よくレッスンの場でお伝えするのは、「どうしたら“できる”に変わるのかを考えてみる」ということです。
改めて見直すと、いろいろな「できる」がみつかるはずです。
そこから、もっと具体的に「できる」を見極めていきます。
上記の羅列から言うと、たとえば、「指定のテンポだとひけないけど、BPM(1分間の拍数。つまりテンポのこと)=60まで下げたらひける」とかのケースです。
これまで「このテンポじゃひけない」と思ってたのが、「60ならひける」に変わります。
「できる」が登場したのです。
この「できる」をとっかかりにして、じゃあこれからどうしていけばいいのかを考えていく。
ここで「練習法を考えるのも練習」というのも付け加えておきましょう。
レッスンの場は、できないをできるにかえるために、どのような練習すればよいのかを学ぶ場でもあるのです。

感情をからめない

ここまでくると、当初「全然ダメ」とおっしゃっていた生徒さんの落ち込んだ表情が変わってくることが多いです。なにをしていけばいいのかが分かってくるからです。
これは、感情のコントロールでもあります。
アレクサンダーテクニークを学んでいると、「どうすると動きやすくなるのか」という視点が加わります。この「うごきやすさ」は、身体の使い方だけでなく、こころの使い方も含みます。
もっと具体的にいうと、「自分が動きにくくなるような思考をしていないか」と、自身に問いかけてみるのです。
「全部ダメ」という思考は、自分を動きにくくしています。心が落ち込み、意欲が失われます。
できているところは無視され、できてないことばかりがクローズアップされます。なので、どこをどう練習していいのかを具体的に絞れません(全部ができていないと思ってしまうので、そうなってしまいますよね)。
また、「できる/できない」の2択しかないので、例えば120のテンポでひけないと、全てダメとなります。60のテンポでひけてたものが、80になり、100になり・・・というグラデーションの進歩が見えてこないのです。
さらに、速度は速くなってないけど、左右の手の動きのタイミングが合ってきた、とか、雑音が減った、とか、粒が揃ってきた、というテンポ以外の「できるようになった」ポイントを、見落としたり、無視したりしてしまいがちです。
建設的な練習のために、これらの小さな「できる」をちゃんと察知できるようになること。
そのためには、「感情に振り回されない」、もっというと、「自分を動きにくくしている思考に気づく」のがポイントだと思います。
こころとからだはつながっていて、一体のモノなのです。
ふりかえってみると、私自身は特に感情に振り回される傾向が強いなあと思いました。
なにかトラブルがあると、それに付随する感情が強く出て、対応がそれに引きずられると共に、それを自分の中で増幅させて、言われてないことまで勝手に膨らませ、自身を攻撃してしまいがちなのです。
時間が経ったり、また異なることがきっかけで感情がもとに戻ると、自分への攻撃は止みますが、ミスの根元を断つための反省もコロッと忘れて、また同じ失敗を繰り返してしまうこともあります。
問題解決と感情とを切り離すこと。
そのうえで、自分を動きにくくしている思考に気づくこと
気づけたら、「何をどうやって改善するか」というアイディアも浮かびやすいです。
いまだに試行錯誤中ですが、こうやって文章に書くことで、改めてリマインドできれば、と思っています。

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