楽譜から音楽を聴き取る

●ひとり二重奏のミステリー

●たいへんなのはどっち?

●「楽譜から音楽を聴き取る」

ひとり二重奏のミステリー

私はいぜん、このような文章をSNSに投稿しました(2025年5月31日)。

二重奏やアンサンブルの曲で、メロディではないパートを練習するとき、割とシンプルな曲だったら、自分がメロディを歌いながら二胡をひくという「1人二重奏」を楽しみながら、どのようにハモったりからんだりするのかを確認したりする。

んで先日、その逆、つまり二胡でメロディをひき、口でハモりパートを歌ってみたら、全然できないのだ!歌うより二胡をひく方が複雑なことをしてるから、二胡がメロディ担当で負担を減らした方がやりやすいように思えるのだが、なんで実際にやると逆になるんだろう。

そういえば、ギターとかの弾き語りとかはふつう歌がメロディで楽器は伴奏よね(まあ当たり前っちゃ当たり前だけど)。けど、私は別にそういう経験もないし…。今んとこ理由が分からなくて、何か悔しい〜

まず、前提として、練習している曲というのは、子どものころに誰もが歌っていたすごくシンプルな唱歌で、メロディは完全にそらんじているということです。

そして、Ⅰはほぼメロディのみ。その他のパート(Ⅱ~Ⅲ)は、ハモリやオブリガードという構成になっています。

で、まずはⅠとⅡの絡みを確認するために、自分で歌いながら二胡をひくという「ひとり二重奏」の練習をしてたのですが、そのときに、

Ⅰ(口で歌う)+Ⅱ(二胡でひく)→できる

Ⅰ(二胡)+Ⅱ(歌う)→できない

ということに気づいたのです。

で、その理由を考えてみました。

まず、演奏の負担という角度で見てみると・・・

【自分の仮説】声を出すのは、両手を異なる動きで操作する楽器に比べたら、負担が少ないのではないか? 

→→ だったら、負担が大きい方が、音をとる必要がないメロディ(知っている曲だから)を担当したほうがラクではないか???

しかし、この仮説なら、

Ⅰ(二胡)+Ⅱ(歌う)

の組み合わせの方がやりやすいはずです。

しかし、実際はそうではなかった。あれれ??

ここでいったん考えが行き詰まってしまいました。

ただ、いつもその疑問はぼんやりとアタマのすみっこにありました。

そしてある日、ぼんやり歯磨きしていたとき、ふと、思い出したのです。

たいへんなのはどっち?

それはすこし前、2025年4月1日の投稿でした。

私は、ジュンク堂などで使う「hont」というポイントを集めていて(電子や紙書籍の購入時にポイントがつくほか、毎日アプリにアクセスして操作するとポイントがもらえる)、だいたい2ヶ月に1度は一部のポイントが期限切れになるので、そのペースで電子書籍を買っています。

で、投稿の前日の3月31日に購入したのが、この本だったのです。

土田京子著『絶対!わかる 和声法100のコツ』(ヤマハミュージックメディア)。

この『絶対!』シリーズの中には、賈鵬芳さんの『絶対!うまくなる 二胡100のコツ』もあるので、そちらの本はお持ちの方も多いのではないでしょうか。

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さて、話を戻すと、『和声法』の第1章の冒頭のところで、著者の土田氏はこのように書いています。

「ピアノで音を探ってみないと、曲のイメージが湧かない」というのは、「楽譜から音楽を聴き取る」という努力を最初から放棄していたわけで、とてもよろしくない態度だったのです。

ジュリアード音楽学院出身のアメリカ人ピアニスト兼ピアノ教師のピーター・コラッジオのことばだそうです。

これ、かなり自分に刺さりました。

というのは、冒頭の某曲の譜読みをしようとして、ある日の歌のレッスンに持って行きました。バタバタしてなかなか譜面と向き合う時間がなかったのですが、もともと唱歌だから、歌のレッスンついでに譜読みもやっちゃおうという魂胆です

で、Ⅰのメロディパートを歌ってみて、次にⅡを歌おうとしました。

あれれれ、音がとれない!!!!

たぶん、二胡をちょっとやった生徒さんなら初見でもひけるようなシンプルなメロディです。ゆったりテンポで、こまかくても8分音符しかなくて、臨時記号もなく、音域も1オクターブ以内。なのに、私は、途中でなんどもつまづきました。

そこで初めて、私はいつしか、譜読みの時から音取りを楽器に頼りきってしまっていて、読譜能力が著しく衰えていることに気づかされたのです。

これは、かなりの衝撃でした。よく生徒さんに歌ってもらっているのに、自分は何をやっているのだろうか、と。自分こそ、サボりまくっていたではないか、と。

「楽譜から音楽を聴き取る」

ここで、冒頭の問いに戻ります。

実は、音をとるのは、声の方が楽器よりずっとずっと難しいのです。

だから、知ってる曲で「メロディは声、ハモりは二胡」という組み合わせならできるけど、その逆ができなかったというわけでした。

まあ、言われてみればそうかなと思います。なんでこんなシンプルなことに気づかなかったんだろうと、自分でも思います。

しかし、この結論にいたるまで、ずうっとアタマをひねっていたのも事実でした。

また、このことに限らず、自分の譜面との向き合い方がすごくいい加減だったことに、最近、気づかされる機会が多くなりました。

いろいろなきっかけで、また二胡の先生とのレッスンや、先生の教えを受けた方からのレッスン(ほとんどがグループで受けるレッスンですが)を受ける機会ができて、ああこれまでの自分はただ譜面に書かれた音を出すだけだったなあと思うようになったのです。

メロディと拍とリズムの関係、中国音楽やその他の音楽との音色や音律の選択、ピアノなど他楽器との関係などなどがあって、そして、選曲の意図、お客さんへの意識、会場への意識、本番までの段取り、さらに、長期的な計画とその種まきをコツコツやることと、それらと自分の生き方とのかかわり・・・・

それを踏まえたうえで、どのような音をどう出すかという選択があって、

その選択を実現するために、自分の身体の使い方そのものを改めて選択する。

まだまだ学ぶべきことがたくさんあるなと思いました。

5月31日投稿より。同じ素材を、同じ時に、別々のニンゲンが撮ったものです。こじづけのようですが、同じ譜面をどう音にするかが違うように、写真にも個性や技量がでます。1枚目が私が撮ったものですが、「かわいさ」の表現では完全に2枚目に負けた気がしますね。何か悔しい〜

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