《コンテンツ》
●「私たち音楽家にできることを」
●そうだ、譜面を作ろう
●さいごに・・・
「私たち音楽家にできることを」
「Дивлюсь я на небо」は、ウクライナの曲です。
中国語では、「仰望天空」「我仰望天空」「我仰望着天空」などという曲名がついていますが、日本語題がみあたらないので、とりあえず勝手に訳して、「空をみあげて」という邦題を付けています。(むりくりカタカナにすると、「ディブリース ヤー ナ ニェーバ タ イ ドゥムクー ガダーユ」となるそうですが・・・)
二胡三重奏譜(手書きで済みません)。Ⅰ~Ⅲの3パートに分かれていて、二胡Ⅲはポジション移動なしでひけるようにしました。
伴奏用音源
三重奏サンプル音源
ピアノ伴奏譜
「Дивлюсь я на небо」
詞:Петренко Михайло Миколайович ミハイロ・ペトレンコ(1817~1862)曲:Александрова Людмила Володимирівна リュドミラ・アレクサンドロワ(19世紀)
歌とピアノのアレンジ:Zaremba Vladislav Ivanovich ウラジスラフ・イワノビッチ・ザレンバ(1833~1902)
合唱アレンジ:阿·鲁卡宁(原名不明)
リュドミラ・アレクサンドロワの没年と阿·鲁卡宁の没年が分かりませんが、もし両者の没年が70年前の1952年以後だったら、これらの資料は削除しようと思います。
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そもそも、最初の発端は先生の呼びかけでした(Facebookにもあり)。
2022年2月26日 Що ми, музиканти, можемо зробити.
私たち音楽家にできることを。https://t.co/Y5V2y1c9AC— Keiko Sugihara 杉原圭子 (@sugihara_keiko) February 26, 2022
私にも、先生からメールが来ました。
最初はどうしようかと思いました。
私の訳本の監訳をしてくださったり、自分で教室を立ち上げる際に相談に乗ってくださったり。二胡のレッスンだけでなく、ほんとうにたくさんのサポートをして下さる先生。
その一方で、私には滅多に頼み事などなさらず、ほんとうに自由にさせていただいています。
そんな先生からの呼びかけに、ぜひ答えたい。
しかし、演奏動画とかアップしたことないし、アップすること自体にもすごい抵抗がありました。
さらに、当時は『張韶老師の二胡講座』上巻の再版作業も大詰めを迎えているころだったのです。
それでも、まずは超々スモールステップでいいから、自分のできることから着手し、自分のできそうなところまで動いてみよう、と決め、移動時間などを使って軽く検索を始めました。
まず見たのは、私がよく参考にする「世界の民謡・童謡」のサイト↓です。
http://www.worldfolksong.com/songbook/russia/ukraine.htm
そのとき、私はひとつ勘違いをしてしまいましたので、ここで訂正します。
まず、2021年に「ウラルのグミの木」について、『三体』との関係をツイートしています。
いま流行りの中国SF『三体』(劉慈欽著)、3部作なのに私は2部までしか読んでないのだが、その中で、登場人物(もちろん中国のヒトだ)が「ウラルのグミの木」という歌を歌うというシーンがあった。中国ではロシア民謡がよく歌われるが、いや「中国でも」(続く)| ウェブベルマーク https://t.co/6wqvW8i43u
— 井上幸紀 (@erhumao) June 16, 2021
そのあと、「世界の民謡・童謡」サイトで「小さなグミの木」という曲を見つけ、また↓のようなツイートをしました。
(続き)眺めてると、例えば「小さなグミの木」は、中国SF大作『三体』の登場人物の一人、羅輯が口ずさんだ歌ではなかったかと思う。本を読んだ当時はロシア民謡かなと思ったけど、ウクライナだったのか。言語が違うように、向こうの方々も音楽を聴いて「ウクライナっ(続く)https://t.co/LCp6j9JXBT
— 井上幸紀 (@erhumao) March 12, 2022
しかし! これは「グミ」違いで、ぜんぜん違う曲なのです!
メロディはうろ覚えで、話題を通り過ぎたら瞬時に忘れてしまってたので、次に「グミ」という字を見た時に、曲名は似てるけど全く違う曲だということに気づかなかったのです!
つまり、2022年3月13日のツイート内容は誤りでした。訂正し、お詫びいたします!!
そうだ、譜面を作ろう
で、いろいろ聞いて、いくつか候補曲を挙げていたのですが、ふと、検索方法を変えてみようと思いつきました。中国語サイトから「乌克兰」「民歌」「谱」などのキーワードで調べて見たのです。あわよくばそのまま数字譜がヒットするかもしれないからラクかな、なんて・・・。
そこで最初に見つけたのが、↓の譜面でした。
https://www.qupucn.com/qitaqupu/guowaiqupu/83860.html
これならG調でひけるなあと思って、まず録音してみました。
なんどもひいて、なんども録音して、なんども聞きました。
そしたら、譜面を見ただけでは感じなかった、この曲への愛着がだんだん湧いてきたのです。
そういえば、部活でブラスバンドやっている時も、自分たちがずっとやっていた曲がこよなく好きでした。というか、やってない曲にはほとんど(まあたまには聞いただけで「この曲かっこいいな」というのもありましたが)興味を示さなかったのです。だから、自分はほんとうにブラスバンドの曲が好きなのかどうかは分からないと思っていますが、まさに、そんな現象が「Дивлюсь я на небо」でも起こったのでした。
そこで、「この曲をもっと調べよう」と思い、さらに検索を続けました。
そしたら、上の譜面と微妙に違う、別の譜面が見つかったのです。音符も違うし、同じ訳詞者なのに歌詞も違う。
https://www.sakesi.club/pages/260249.html
え~、いったいどっちが正しいんだろう・・・。というか、どうやってそれを知ることができるんだろう。
そのとき
张贵《仰望天空 Дивлюсь я на небо》乌克兰民歌
という動画もヒットしました。
https://v.youku.com/v_show/id_XMzAyNTQzMjc4MA==.html
当時、スマホでは再生できなかったのですが(帰宅してからパソコンでURLを入れると再生できました)、原語での題名が分かったのが突破口となったのです。
「Дивлюсь я на небо」という題名をコピペして、さらに検索して出てきたのが↓のサイトでした。
このサイトには動画や譜面などいろいろ載っていて、それらと、これまで自分が持ってた情報を突き合わせました。さらに、ロシア語ができる身内に見せて、歌詞がロシア語ではなくウクライナ語だということも確認できたのです。
上記サイトから動画だけ取り出したのが↓です。
けど、やっぱり歌詞の意味を知りたい・・・とはいえ、あまり身内に頼るのもなんだし、調べるところまで調べれば・・・
そこで、さらに中国語で歌詞がわかる譜面を検索し、見つけたのが↓の混声四部合唱の譜面です。
https://www.qupucn.com/qitaqupu/guowaiqupu/31200.html
ここから、歌詞を日本語に訳しました。
私は空を見上げて思いを馳せる
どうして鷹(雄鷹)のように力強く羽ばたけないのだろう
どうして神様は私に翼をくれなかったのだろう
この世界から離れて 自由に飛び回りたい
このほか、歌とその伴奏譜も別件で見つけました(wikimediaより)
この時点で、二胡のメロディ譜だけでなく、三重奏譜にして、さらにピアノ伴奏譜も作ろうと決意しました。
そして、もし余裕があったらみんなにひいてもらおう、と。
ということで、来る2022年3月16日のグループレッスンに向けて突貫工事で準備を進めたのです。
合唱譜を参考に三重奏譜を起こしつつ、ピアノ伴奏譜をまず原調で譜面作成ソフトに入力し、そこから二胡がひきやすいG調に移調し、伴奏の和音と合わないところを調節しました。
さらに、譜面作成ソフトのオーディオ作成機能を使って、サンプル音源と、メロディ抜きの伴奏音源を作りました(リタルダントの調節がいちばん難しかったです)。
ただ、それらをほぼ完成させ、ほんなら明日みなさんに配布して、SNSにもアップしようとひと息ついた時、初めて「あ!」と気づいたことがあったのです。
それが「著作権」の問題でした。
民謡じゃなくて、作詞作曲者がいるんだったら、死後70年以内だったら、ツイッターで譜面を公表することは違法になるかもしれません・・・。
作詞・作曲・ピアノ伴奏、それぞれの作成者について、上のウクライナ語?サイトにあるものをコピペして検索してはみたものの、とにかく一文字も文字の意味が分からない状態では、危ないなあと思い、いったんはくじけかけました。
しかし、パソコンでクライナ語の人名を入れて、複数のサイトがヒットしている画面を見て、ふと気づいたのです。
サイト名の横に「このページを訳す」という表示が出ていることに。
それをクリックすると、サイトのだいたいの日本語訳が出てきたのです!
そこで、作詞作曲など主要人物については著作権が切れていることが確認できて、ツイッターでもシェアしました。ただ、冒頭に書いてますように、まだ不確定部分があるので、そのときは削除しなければいけないなあと思っています。
ウクライナの曲をシェアしようという先生の呼びかけに、以前二胡譜だけアップしましたが、Wikipediaの情報が正しければ著作権が切れてるっぽいのでシェアします。(続く)| https://t.co/6wqvW8i43u
— 井上幸紀 (@erhumao) March 15, 2022
最後に・・・
長くなりましたが、最後に一言。
人の命を奪う。
人の居場所や、大切なものを破壊する。
これらは、だれだって、どんなときだって、決して許されることではありません。
なのに、なぜ「戦争」となると、その蛮行が白昼堂々と行ってしまえるのでしょうか?
なぜ、そのような人道に悖る行為を他人に強制することができるのでしょうか?
殺されたくない、殺したくない。
破壊されたくない、破壊したくない。
これは、すべての人類が等しく、生きていく上で有している、必要最小限の、でも他にかけがえのない望みであり、権利ではないのでしょうか。