2017年11月22日の「二胡を楽しむ会」は、いつもの会場である天王寺区民センター第4会議室で行いました。
燭影揺紅【無伴奏】
時代【賈「二胡で奏でる歌謡曲」より】
枯葉【ウェイウェイ・ウー「Nomad」より】
ムーンライト・セレナーデ【賈「二胡で奏でるシネマ・ミュージック」を改変】
山村変了様(リクエスト曲)【「二胡経典名曲伴奏4」より】
曲のあいまあいまに解説や個人的なエピソードを話したりするのですが、
「劉天華とグレン・ミラーは、実は同時代に生きた人」だというネタを
話し損ねちゃったのが残念・・・
(劉天華は1895年、グレン・ミラー1904年生まれ)。
●アンケートより(掲載可の方のみ)
・情感豊かでムードに酔いしれました。
聞き慣れた曲もこんな風に奏でられるんだと感動しました。
解説もいつも楽しみにしています。
いつもこの幸せな時間参加できて、感謝しています。(すっぴん惠子様)
・ステキな音色を聞かせて頂きありがとうございました。
今まで何も考えずに聞いていた曲も、
お話を聞いて時代背景などおもいながら聞くと、又、深みも増して、心に染みました。
次回もぜひ参加させてください。(りょうちゃん様)
●今回の演奏や今後の課題
ひき始めの前にきちんと自分の時間を作ること
そのために普段の練習からボディチャンスなどで学んだことを実行していくこと
今回、というか毎回ですが、いろいろな反省点があります。
特に、全ての曲について、なんかそそくさとひき始めてしまったということがありました。
これはなんなんだろう、といろいろ考えてみました。
まっさきに思い当たるのは、今回は新曲(人前で初めてひく曲)が3曲と比較的多く、
練習不足の感が否めなかったこと。
毎回、これでバッチリなんて思うことはぜんぜん無く、いつもひやひやなのですが、
今回はとくにその思いが強かった。
それが、無意識のうちに、「さっさと終わらせたい」という思いにつながり、
心や体の準備もなおざりにして、自分や周りの状況も見ずにそそくさと始めてしまったのではないか・・?
なにより、今回は演奏中、最初から最後まで
全く「演奏のためのプラン」のことを考えなかったです。
ただただ、ひいてしまった。
いったい、なんのためにアレクサンダーテクニーク講師養成学校に通っているのか。
こんな肝心なときに使わずいつ使う?!
いやいや、ここで自分で自分を責めても、建設的ではない。
まずは理由を考えてみようと思う。
最初の話に戻るが、時間が足りない!という思いから
前回ほど丁寧に「演奏のためのプラン」を含めた練習していなかったということがある。
生徒さんには「日頃から本番を想定して練習してみればどうでしょう」とお伝えしているのに、
自分自身は、すっかりそれを忘れていました。
時間がないという焦りから、限られた時間を
「いつも」の「出来ないところの反復練習」に
使うことに終始してしまった。
だったら、本番のときに「演奏プラン」を含められないのは当然だ。
でも、どうしてそれを含めた練習をせず、
「できないところの反復練習」についやしてしまったのか。
「とにかく反復練習して身体にしみこませる」「考えなくてもできるようになる」
等々の言い回しは、とくに音楽やスポーツの世界でよく聞く。
私自身、いまでも自分の中のどこかで、このような発想から抜け出せてないところがある。
でも、自分の中では、そうではないのではないか、という新しい気づきも少しずつ育ってきている。
ただ、それをうまく実行できていない。
なぜ、うまく実行できていないかというと、
そうではない新しい気づきから得られる具体的な練習法をしっかり確立できていないのもあるが、
なんといっても、そうではない練習法に対する信頼がまだ薄いからではないか。
だから、今回みたいに「時間が足りない!」という局面になると、
つい旧来の反復練習に戻ってしまっている。
反復練習を手放してしまうのが怖いのだ。
そのためにも、「できないところを機械的に繰り返す」以外の練習について、
おいおい文章にまとめながら、自分自身で整理していきたい。
なにより、それをまず自分が実行していくことが大事だなあと思う。
もう1つ、今回の演奏の小さな反省点もあげておく。
普段の練習時には譜面はあまり見ないのだが、
伴奏音源が入っているスマホを譜面台に置いてるので、
練習中は何となく譜面台においてるスマホを見てしまっていた。
そして本番。最初の曲は無伴奏だが、
2曲目から伴奏を再生するためスマホを手元に置くと、ついついそっちを見てしまう。
どうせ見るなら、スマホではなくその場にいらっしゃるお客さんとともにいたい。
でも目線と意識はついついスマホの方へ・・・
このことはちょっと前から感じていた。
例えば、曲の合間に解説などを入れるため、手元に資料を置いていると、
話し終わって演奏に移ったときにも、その資料の文字をついつい目で追ってしまうのである。
だから、今回はなるべく資料をみないでしゃべるようにしたのだが、
今度はスマホを見てしまっていた。
そんな自分に演奏中に気づき、頭の中で「スマホ見ない」と自分で指示をしはじめたが
その結果、
「スマホ見ない、あっ否定形の命令はやめとこう・・・見るな、ではなくお客さんを見よう・・・あっまたスマホ見てしまった・・・お客さんを・・・いやいや曲のことぜんぜん考えてへんやん・・・あっ間違えた・・・あ~も~」
と、わちゃわちゃになってしまった。
次の曲ではスマホを自分から見えない場所に置き直した。
ただ、反省ばかりでなく、これはよかったということも
自分自身のために記しておきたい。
伴奏をいろんな音源から集めているので、
曲によっては伴奏音源の音が割れてしまって聞き苦しかったり、
他と比べボリュームが小さくて二胡の音とのバランスが悪かったりして
曲が始まってから「わあどうしよう」と思ったが、
それを気にするのではなく、音が割れた状態を受け入れて曲に戻ったり、
音源のボリュームにあわせて二胡を小さめにひく、という対処ができたこと。
というか、物理的に音のレベルを揃えられたらいいんだけど、
実際に広い部屋でスピーカーで再生するまで分からないんですよね・・・。
今回はこんなところです。
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やねねこ第2弾!
真下ではなくななめ横からみるとこんな感じ。