●あちらを立てればこちらが立たず・・・
●まず前提を変える
●前提を考え続ける
あちらを立てればこちらが立たず・・・
なにかもっと改善したいなあ、ということがあるときに、アンビバレントな思いがネックになっていることはないでしょうか。私はよくあります。
例えば、
① 左手に集中したら右手がおろそかになる/右手に集中したら右手のことが考えられない
② 譜面に正確にひこうとしたら感情移入できない/感情移入したら正確さが失われる
③ テクニックに集中したら表現まで考えられない/表現に集中したらテクニックがおろそかになる
等々。
「感情」「表現」「集中」などの語について、ひとつひとつの意味するところについては、いまの私にはとうてい語りきれない奥深さや難しいところがあります。
が、それは、ここではすこし傍らにおいとくことにしましょう。
この「あちらを立てればこちらが立たず」状態に、私はしばしば悩まされてきましたが、いぜんは、うーんと頭をかかえてそのままでした。
そのうち、別々にやっていって組み立てていくことを覚えました。
たとえば①なら、右手(運弓)だけ→左手だけ→両手を合わせる、というのも1つの方法です。片手だけの時に、ついでにメロディを歌いながらやるといいなあ、とか、いろいろなバリエーションを考えたりしました。
②や③なら、とりあえず片方だけに集中して考えてやってみる、とかもいいかもしれません。
いろいろな練習法を考えるのは楽しいことです。どんなふうに練習すれば上達するだろうかということを考えることも、大事な「練習」だと思っています。
ただ、最近は、音を出す前にやるべきことがあるのではないかと思うようになりました。
それが、「前提を変える」です。
まず前提を変える
前提を変えるとはなにかというと、前の項に書いた①~③に見られるような、自分の中の思い込みを疑うことです。
① 左手に集中したら右手がおろそかになる/右手に集中したら右手のことが考えられない
については、そもそも、二胡は両手が協調して音を出しているという前提に立ち返ることが重要だと思います。
右手と左手は、バラバラな存在ではありません。すべて「私」です。
私は演奏するために、自身が両手に指示を出して、それらを動かしているのです。
② 譜面に正確にひこうとしたら感情移入できない/感情移入したら正確さが失われる
③ テクニックに集中したら表現まで考えられない/表現に集中したらテクニックがおろそか
については、楽譜に書いてあること――曲名や、拍子や調、音の高低、長短、強弱、速い音型、さまざまなアーティキュレーションなど――を、作曲者が考え抜いて配置しています(民謡などを除く)。
そして、それら譜面に書いてあることを実現することが表現なのです。
譜面を音にすることで、作者が表現したいことが音楽として浮かびあがります。
だから、その表現がどんな感情や情景を表しているのかは、譜面に書かれていることから読み取り、それを表現するためにはテクニックが必要だ、ということになります。
つまり、②も③も、①と同じく、そもそも対立する概念ではなく、どれも分かちがたく結びついている、一体のモノなのだという前提から出発するべきだと思いました。
もちろん「楽曲解説」を調べて読むことも大事ですが、たとえるなら、それは美術館に入ったときの絵の解説のようなものだと思います。解説を読むことで見えてくるものがたくさんあるでしょうし、理解もより深まりますが、それはあくまでも実際の絵を見ることが大前提です。
音楽についていえば、「絵」に相当するのが、譜面(や音源)だと思うのです。
いままでの私は、そこを、おざなりにしていたような気がします。
この点については、いずれ「なぜ自分の演奏が伝わらないのか」(仮題)というテーマで、反省していきたいと思います。
前提を考え続ける
①②③のような「あちらを立てればこちらが立たず」的な話は、アレクサンダーと出会って、もう一つ増えました。
それは、
④身体(自分全体)のことを考えると演奏がおそろかになり、演奏のことを考えると身体(自分全体)のことを忘れる
ということです。
その答えは、この文章を読んできた皆さんならおわかりだと思います。
①~③と同じく、この④も、実は分離してはいけないものを分離してしまうという前提から変える必要があるのです。
もう少し詳しく言うと、私たちは、演奏を、ほかならぬ「自分全体」を使って行っています。
だから、自分が「出したい音」を出すためには、どう考え、どう動けばいいのか。それを実現するためには、「自分全体」への指示が必要なのです。
なのに、気づいたら、目的(出したい音を出す)と手段(身体への指示)が乖離してしまっていて、どっちかに注意を向けるとどっちかが疎かになってしまう!ともがいていました。
しかし、「音とそれを発するために動く身体は、本来分離できないものだ」という趣旨のこと(正確な表現は覚えていないのですが)とゆかさんに言われて、ハッとしました。私は、まず別個のものとして捉えていた前提を変える必要があったのです。
ただ、頭では分かっていても、ひとは習慣づいた思考のクセをなかなか変えられないものです。
ここは、あまり自分を追い詰めず、思考を変えることで変わっていくだろう自分を、好奇心をもって観察していこうと思っています。
また、演奏に限らず、人生において同じような「あちらを立てればこちらが立たず」的な状況で困っているときに、すぐどうしようかと解決策を考えるのではなく、そのまえに、同じような「問い」を立ててみるのも、有効かもしれませんね。
※本記事の一部は、2025年2月13日の旧Twitterの自分のリプライを参照しています。
https://x.com/erhumao/status/1889881124308193600
※アイキャッチ画像はイラストACより
