●無用の用
●何を学ぶのか
●どう学ぶのか~思考の癖をチェックする
無用の用
古代中国の思想家・荘子の有名な話に、自分が立っている時、足が接している以外の地面をむっちゃ掘ると怖いね、というのがあります(出典)。
これは「無用の用」という思想を説いた際のたとえ話みたいですが(足を支えてない部分の地面もちゃんと役に立っている、みたいな)、学生のころにこの話を知ったとき、すごい断崖絶壁の、足の裏の広さしかないスペースの上に立っている自分を想像して、足がすくんだ覚えがあります。
そんな状態を想像して片足立ちしてみるとどうでしょうか?
ふつうにひょこっと片足立ちするのと比べて、ぐっと難易度が変わってしまうのではないでしょうか。
つまり、このたとえ話って、どう思考するかで身体の使い方が変わってくる例としても使えるなと思うのです。
こんなことを考えるようになったのも、アレクサンダーを学んだからでした。
自分自身の思考のクセが、いかに自分で自分を動きにくくしているかということが、少しずつ分かってきたのです。
何を学ぶのか
私たちはいろんなことを学んできました。
赤ちゃんのころだったら、まず、座ったり立ったり歩いたりという日常的な動作を。
もう少ししたら、服のボタンの留め方、靴の履き方、箸や鉛筆の持ち方、自転車の乗り方などなどなど・・・
もちろん小中高ではいろいろな勉強や、ピアノや習字やそろばん、水泳などのお稽古ごとで学んだりしました。
もっと大きくなったら、ワープロやパソコンなどを学んだり、大人になっても私のように二胡を新たに習うなど、習い事を新たに始めたり、いろいろ調べながら独学で習得していくことも増えますね。
それらはぜんぶ、具体的な学びです。
「何を」するかという目的によって、学ぶ内容は変わってきます(ジャンルによっては相互に関連することもあるかもしれませんが)。
一方で、それらのことをやるのは、みな「わたし」です。他人の身体は使いません。
そして、身体の使い方には、これまで直接・間接的に獲得してきたやり方が関わってきます。
そのやり方の中には、長年の習慣に基づいた、あまり合理的でないものもあります。
しかし、それに気づかずに、同じ動きの癖のまま何かをしていくと、あまり効率的でなくなったり、楽しみを感じられなくなってしまったり。
時には心身に苦痛を感じるところまで行ってしまうケースもあるのです。
どう学ぶのか~思考の癖をチェックする
そこで役に立つのが、アレクサンダー・テクニークの考え方です。
何を学ぶかではなく、「どう学ぶのか」をもう一度見直してみるのです。
アレクサンダーのさまざまな考え方から、ここでは「心身合一」にスポットを当ててみます。そして、なにかがうまくいかないときに、実は「無用の用」のように、自分で自分を動きにくくしている思考の癖が関係しているのではないかということを、改めて探求してみるのです。
特には、自分を動かすときに、わざとではなく、長年の習慣によって、気づかないうちに身体が動きにくくなるような思考をしてしまう場合があるからです。
たとえば・・・
1)「ぜったいに間違えたらダメ」などと考えて、心身を固めてしまってないか。
2)自分から好きで始めたことなのに、「●●せねば」と自分で自分を追い詰めていないか。
3)過去のうまくいかなかった出来事を、現在やっていることに無意識に重ねてしまって、起きてもない未来に対して、「またダメになるのではないか」と恐れて楽しめなくなってしまってはいないか。
4)うまく行かない、うまく行かなかったことばかりが気になって、自分の中で着実に成長している小さな良い変化に目を向けず、勝手に絶望したり、嫌気がさしてしまっていないか。
まだあるとは思いますが、この辺でやめときます(思いついたらまた足してみます)
今までの私は、そういう思考、つまり「やはり自分はダメだ」といと思ってしまう癖を、なかなか手放せないでいました。
しかし、ああ、またそういうことを考えているな、と気づくようにはなってきました。
そんな時には、心も体も固まってしまっていますが、自分でそのことに気づけるようになると、自分で解除できるようにもなります。
まず、気づくことが大事なのです。
そして、気づきを促すためには、固まった体を動かすことも有効な手段の一つです。
体が固まると心もその影響をうけて固まりがちになりますが、逆もあります。
固まってしまった体を動かすことで、心も固着した思考から離れやすくなります。
すると、さらにそれに連動して、からだはもっと動きやすくなってくるのです。
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もしもあなたが学びの機会や学びの場に際して、なにか困難を抱えているならば、ちょっとだけ上記のことを思い返してみてください。
もちろん、うまくいかないことにはいろいろ複合的な原因がある場合もあって、かならずしも思考の癖だけが関わっているとは限りません。
でも、探求してみる価値はあります。
それによって、すこしでも心身が動きやすくなるのでしたら、うれしいです。
前のブログ「自分を動きにくくしている思考に気づく」も参照してくださいね。