中国二胡界における解剖学的知識の源流?

今回はABCラジオ「シンフォニーアワー」で聞いたことをシェアさせてください。

今朝ラジオをつけたら、たまたま「ツィゴイネルワイゼン」が聞こえてきて、誰だろうと思いながら最後まで聞いたら、前橋汀子さんがゲストに来ていて、さっきの演奏は前橋さんのものだということが分かった。話の流れから、この日のゲストに来ていたらしい。

ぜひ前橋さんの話を聞きたくて、さきほど仕事しながらタイムフリーで最初から再生していた。すると、ソ連(いまのロシア)に留学しているとき、解剖学の授業があったというのだ。手っ取り早くウィキペディアで調べてみたら、前橋さんは1943年生まれで、17歳でレニングラード音楽院に留学している。単純に足し算してみると1960年。ロシア(ソ連)ではこのころから、すでに解剖学の知識を演奏に活かすということをやっていたのだ。

張韶先生が「解剖学をまなびなさい」とおっしゃっていたことは、『張韶先生の二胡講座:下巻』巻末の杉原先生の追悼文や、私が書いたあとがきにも触れている。もしかしたら上巻のどこかにも書いたかもしれないけど、張韶先生のこの発想はいったいどこから来たのだろうと、いぜんからずっと不思議に思っていた。

前橋さんの話を聞いて、もしかしたら話の出所はソ連かもしれない、とふと思ったのだ。

張韶先生からコピーさせていただいたいくつかの古い二胡テキストのうち、解剖学的内容が明確に記されているのは趙硯臣『二胡基礎訓練』(1977年)だけだ。全身ではないものの、肩周りから上半身、そして上腕、前腕と指の主要筋肉(伸筋と屈筋)が図で示されている。柏木真樹『ヴァイオリンを弾くための身体の作り方・使い方:基礎編』(53p)に「ボウイング筋」として紹介されている「回旋腱板筋群」についても、不完全であるがちゃんと図示されている(棘下筋・小円筋のみ。あと棘上筋、肩甲下筋がある)。

もちろん、もっと多くのテキストがあったでしょうし、「私がコピーさせていただいたほんの数冊の中で」という前提なので、もしかしたら同様のテキストがまだあるかもしれない。ただ少なくとも、1977年にはすでにこのようなアプローチをする奏者・教育者がいたということの証拠にはなる。

一方、解剖学の知識の重要性を強調され、趙硯臣『二胡基礎訓練』をお持ちになっていたものの、張韶先生ご自身の本にはこのような解剖図は無い。もしかしたらページ数の都合で割愛なさったのかもしれないが、ここで想像をたくましくすると、もしかしたらこの本をみたりあるいは趙氏から直接解剖学の知識を演奏に活かすということを聞き及んで、その必要性を痛感したものの、きちんと腰を据えて学ぶ時間がなかなか捻出できなかったのかも・・・? とにかく、本当にご多忙のようだったので。

一方、1977年以前の状況を見るため『中国小提琴音楽』をひもとくと、中華人民共和国の建国初期の1949~1966年のバイオリニストたちの海外留学先は、当時の政治的制約からほぼソ連・東欧に限られていたという。だから、1960年頃に留学した前橋さんと同様、彼らも解剖学も学んでいた可能性がある。

そして、当時の二胡奏者たちはバイオリンの教育法・奏法・楽曲について、ほんとうに一生懸命に研究していた。『張韶老師の二胡講座』には、当時なんとかバイオリンメソッドを二胡教育に活かそうとしたあゆみを紹介しているし、私自身も、当時入手困難だったバイオリンの教本を必死でかき集めた話をレッスンの時に周耀錕先生からうかがったり、『張韶老師の二胡講座:下巻』出版に際して、ツィゴイネルワイゼンの移植者について張韶先生本人に確認している最中に、張韶先生が突然それに関わっていた王霽晴氏の存在を思い出し、その場で王氏本人に電話して当時のことを確かめるという顛末を目撃したこともある(残念ながら、次第にその当時の記憶が薄れつつあるが)。バイオリンについてのあらゆることを貪欲に吸収しようというその努力は、もしかしたら解剖学にも及んだのかもしれず、そのもっとも大きな成果が『二胡基礎訓練』なのではないのだろうか。

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前橋さんの話からついつい興味が歴史の方にいってしまいました。今後はまた身体の使い方についての文章に戻りますが、たまにはこんな寄り道もちょくちょくしてみようかと思います。

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