《コンテンツ》
●左手のしびれ
●情報集め
●痛みはシグナル、不調は学び
左手のしびれ
左手がなんかしびれている・・・? そう気づいたのは、2023年9月半ばのことでした。
まるで、歯医者での麻酔が切れかけたときの歯ぐきのような感じというか、腕の感覚がうっすらとベールをかぶっているような感じというか?
練習のあと、ビブラートの振動が腕に残っているような違和感。
その正体が分からないままレッスン場を片付けているうち、やがてしびれのことも忘れ、帰途につきました。
しかし、その日以来、なんどかしびれることが増えてきて、ちょっと怖くなりました。
というのは、2009年2月に板胡の練習中に(当時、アマチュア楽団に所属していて、板胡も担当していたので)、突然ピキッという感じで親指から首の辺りまで電撃のようなしびれが走り、心配で整形外科までいったら、「すぐMRIとってきて」と脳外科まで行くよう指示されたことがあったからです。
幸い、そのときは脳に異常はありませんでしたが、しびれの後にも左手親指の痛みがずっと残りました。一方、今回も脳に異常はなさそうで、しかも痛みも特になかったのですが、しびれはずっと残り続けており、なんとか時間を作って整形外科でのリハビリに通いつつ、レントゲンをみながらお医者さんに言われたことをあたまのなかで反芻していました。
「骨に特に異常は無いけど、あえていうなら、頸椎5番と6番の間がすこーし狭くなってるね」
お医者さんによると、ここから腕の神経がでているそうで、もしかしたらこれがしびれと関係しているのかもしれない、と。
んで、そのことを旧ツイッターでつぶやくと、同じような症状があったけど、完治したという方の報告もあり、さらに雑談やレッスンなどの時に、いろんな方に話したり相談したりする中で、さまざまな経験談や治療法などを聞き、けっこうしびれの症状を持っている方も、それを完治させた方もいらっしゃるんだなあということが分かりました。
情報集め
また、人に聞くばかりではなく、自分自身からの「情報集め」もやりました。
どういうときにしびれるのか、あるいはしびれが強くなるのかについて、ちょっと気に留めるようにしたのです。
すると、最初はランダムに出ているように感じていたしびれの中に、ときたま、動作との関連性がありそうなモノも見いだせるようになりました。
いちばんしびれが強くなったのは、↓の首すっきりストレッチの「いー」ってする過程です。
https://www.collagen-net.com/2020/10/blog-post_44.html
そもそも、さいきんハマっているポットキャスト番組のパーソナリティがやっているというのを聞いて、たまに思い出した時にやっていました。番組で「片手で胸元をおさえて・・・」といっていたので、なんとなくいつも左手を置いてたのですが、しびれがきた後にそのストレッチをやったとき、これまでで最強の?しびれがきたのです。
なので、あとで気づいて、これをやるときは右手を胸元に置くように変えましたが、このストレッチ以外でも、なにもしていないのにうっすらとしびれがくる時がなんどもありました。
なので、次はしびれが来たときにどうするかを考えるようにしました。
まずは、いちど伸びをするように両腕をあげて上体全体のストレッチをし、次に、あげた腕を反動をつけないようゆっくりおろすようにしました。すると、しびれが少しラクになりました。
【仮説1】日頃から気づかないうちに肩をひきさげてしまって、腕の神経を圧迫しているのではないか
その後、しびれを感じたらこれをやるようにしました。
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しばらくして、またしびれがきたとき、首を前に突き出していたのに気づき、それをそっと解除しました。すると、やはりしびれが少し収まったのです。
【仮説2】日頃から気づかないうちに首が前に出てしまって、それが頸椎5、6番を圧迫し、腕の神経に影響しているのではないか。
けっきょくは、ひごろの、無意識にやっている小さな動作の癖が、少しずつ自分の身体に負担を掛けていて、その何十年かの蓄積が、いま症状となって現われているのかもしれない、と思うようになったのです。
だから、きっとしびれが治るのも時間がかかるだろう。
けど、くせに気づいたら直し、気づいたら直し、としているうちに、もしかしたら完治の道もあるのかもしれないから、ゆっくり取り組んでいこう、と思えるようになったのです。
「痛み」はシグナル、不調は学び
健康はありがたいものです。身体の痛みや違和感は、身体だけでなく心にも影響を与えます。
しかし、それを利用することもできるのではないか、と思えるようになりました。しびれを感じるたびに、自分の姿勢を見直すようになったのです。
このクセは、無意識でやっているので、なかなか自分で気づく事はできません。しかも、これはきっと二胡をひいているときにもよくない影響を与えていることでしょう。だって、二胡をひくときだけ別人の身体になっている訳ではなく、私の「この身体」を使って演奏しているのですから。
アレクサンダーテクニークを学ぶようになり、自分の状態についての気づきが増えました。でも、しびれによって、その気づきがより具体的になりました。
そういえば、むかし、肋骨を骨折したフルートの方がいらっしゃって、呼吸を使って演奏する管楽器奏者にとって、呼吸に深く関わるこの箇所の骨折はかなりダメージが大きそうだと思ったのですが、その方は逆に、痛みによって、演奏でブレスをつかう時に不用な力を使っていたことに気づく事ができた、とおっしゃっていたのです! つまり、痛みをシグナルとしてうまく利用なさっていたのでした。
ほかにも、ケガなどでブランクを抱えた選手が、リハビリの過程でさまざまな学びを得て、復帰後により素晴らしい活躍をするというケースも、たびたび目にするようになりました。
痛みや異常は、無いなら無いに越したことはないです。
しかし、もしそのような事態になったら、それはなにか大きな学びや気づきのチャンスになりえるのです。
自分に対する気づきだけではなく、そういう不調に陥った方の心情を思いやることもできるようになるでしょう。
マイナスは、使いようによっては、自分のプラスにもなるのです。
そういえば、そもそも私がアレクサンダーテクニークを学び始めたのも、2009年の左腕の異常がをきっかけに、右肘の痛み、両方の肩のいわゆる四十肩と、腕の不調に次々と見舞われたことがきっかけでした。それらの不調がなければ、アレクサンダー講師を目指すいまの私は存在しなかったかもしれません・・・。
そんなことに気づいた、しびれの経験でした。
※上記の記事は、下のツイートをはじめとしたいくつかのツイートを再編集したものです。
https://x.com/erhumao/status/1707910170473574603?s=20
※イラスト出典:イラストAC https://www.ac-illust.com/