アレクサンダーでつながる私

コンテンツ

●二胡の私、○○の私

●ぜんぶ自分がやっている

●アレクサンダーでつながる

二胡の私、○○の私

いぜん、二胡のレッスン中、生徒さんに、身体の使い方に関する「あること」をお伝えしました(具体的に何を言ったかは忘れましたが・・・)

そしたら、「同じことをピラティスの先生にも言われました!」というお返事。

なので、「それなら、ピラティスの先生がおっしゃったことは二胡に応用できますし、二胡で学んだことも、ピラティスに使えますね」「そうですね!そんなこと、思いもしませんでした!」みたいなやりとりをしました。

複数の習い事をなさっている方もいらっしゃいますが、二胡をやっている自分と、他のことをやっている自分は、「それぞれ別の自分」と思っている方は多いです。

実は私もそうでした。

二胡をひいている私、二胡を教えている私、中国語を教えている私、ボランティアをやっている私、そして日常生活で家事とかをやっている私・・・。それらは、ぜんぶバラバラだったのです。

よく、「二足のわらじ」とか「ワークライフバランス」とか言われますね。

Aの仕事をもつ私と、Bの仕事を持つ私。仕事をするときの私と、私生活の私。それらをどう両立させるか、どう切り替えるか、などの記事がネットにたくさんあります。

私の場合、小さな収入源が5つほどあり、それらを合わせてなんとかどうにかカツカツで生きています。つまり「わらじ理論(?)」でいくと5足のわらじを履いているわけですが、それらの仕事のたびに、そして仕事とプライベートのたびに、そしてプライベートの中には趣味や日常生活があり、日常生活の中には洗濯や料理や掃除(あんまりできていませんが)などそれぞれのタスクがあるわけです。

たくさんの自分、たくさんの動作、それをぜんぶバラバラに捉えると、まるで多くの自分が分裂しているような感じがしてきますね。

ぜんぶ自分がやっている

そしてアレクサンダー・テクニークを学んだ今。

複数の仕事の時間配分や切り替えに四苦八苦しているのは相変わらずです。やはり、あっちでバタバタ、こっちでバタバタしております。

そもそも私は、二胡を学んだり教えたりする時に役立てないか、という動機でアレクサンダーを学び始めました。

なので、このブログには、二胡に関する多いのですが(そもそも、ぶうログ名が「二胡を知る からだを知る こころを知る」と二胡が先頭に来ていますから)。

じゃあ、私は、二胡に関わる時だけにアレクサンダーを使っているのでしょうか。

いえ、アレクサンダーは何にでも使えるのです。それこそ、どの「わらじ」でも、仕事や私生活のどんなシーンでも、使えるのです!

ちょっと考えてみてください。二胡のひきかた、パソコンの使い方、授業の進め方、洗濯のコツなどは、それぞれの動作に特化したもので、他に応用が利きません(もちろん、一部はあるかもしれませんが)。

しかし、アレクサンダー・テクニークは「自分の使い方」のメソッドなので、それらすべてに、いやそれら以外のすべての人間活動に使えるのです。

アレクサンダーでつながる

二胡の「腕の使い方」を、パソコンを使う時にも応用する。

二胡を「人前でひく」ときの心構えを、授業で学生さんたちの前で話す時に思い出す。

地下鉄の中で「座っている」ときに、二胡で「座る」ときの座骨の上でバランスをとっている感覚を使ってみる。

趣味の「うた」のレッスンで、声を出す前に考えることが、二胡の音を出す前に考えることと結びつく。

お米をといでいるときに、手先だけをチャカチャカ使っているようで全身が動いているのを感じ、二胡ならもっと動くよなあ、と思う。

等々、等々・・・。きりがありません。

というか、いちいち並べ立てなくても、24時間すべて「自分」がやっていることなのですから、すべて「自分の使い方」を使える(変な表現になりますが)のです。

何足のわらじであれ、仕事であれプライベートであれ、すべてに使えるメソッドなのです。

いろんなことをやっている私が、アレクサンダー・テクニークによって、つながっていく感覚は実に不思議なことでした。

いろんな顔をもつ私が、バラバラな自分が、アレクサンダーによってひとつに統合されていくような感覚だったのです。

そんなメソッドって、なかなか無いと思うのですが、いかがでしょうか?

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