コンテンツ
●自分を信じるな
●私なりの「準備」
●私なりの「成果」(と課題)
自分を信じるな
ホームでの演奏①の続きです。
さて、とうとう老人ホームでの演奏当日になりました。
朝から、もうソワソワと落ち着かず、このソワソワ感に耐えられずに「演奏依頼、受けなきゃよかった」とまで思ってしまうほどでした。
時間になってから自転車に乗って目的地まで向かいましたが、途中でふと「ストッキングいれたっけ・・・?」「でも、コロコロの中に確か予備を入れていたはず・・・」「いや、自分を信じてはいけないかも・・・」と色々迷いだしてしまいました。
時間に余裕があるから、とりあえず不安を払拭しようと、いったん自転車を歩道の端に停め、荷台に固定しているゴム紐をほどき、コロコロの中を確認したところ、予備は入っていなかったのです。数年前に引っ越した時に「もう演奏の機会なんてないだろう」と、コロコロから取り出していたのでした。
そういうことで、コンビニに寄ってストッキングを購入。不安が的中したことで、逆に少し落ち着きを取り戻した私は、現地に着いてすぐ控え室に案内され、一人になると、かなり静かな気持ちになれました。
「自分を信じるな」――なにか忘れ物をしているかもしれない。
だから、わざわざ自転車を降りて、コロコロの中を確認しました。
そして次の「自分を信じるな」――本番まで時間が十分あると思っても、なにかと手間取ってギリギリになったりバタバタして間に合わないかもしれない。
だから、本番まで40~50分あったのですが、それでもかなり早めに着替えなどの身支度を始めたのでした。
私なりの「準備」
控室にしてくださったスペースは、とても広い浴室でした。
大きい鏡があって、あー助かったと思いました。
というのは、場所によっては控え室に何もなく、手持ちの折りたたみ鏡を必死でのぞき込まねばならないときもあったからです。
コロナ以降、ちまたではマスクをしない方々のほうが多い印象ですが、身体の不調が喉からでるタイプの私は、いまでもずっとマスク生活が中心でした。それに甘えて?日焼け止めすら塗り忘れたりすることがほとんどだったので、久しぶりの化粧を、明るい部屋でちゃんとした大きな鏡の前でできるのは、ほんとうに助かりました。
顔にいろいろ塗りながら、そういえば昔はヒドかったなあと思い出しました。いまでもメイクは全然うまくできないのですが、人前で初めて演奏を始めた頃は、ほんとうに殴られたような顔?になってしまっていたのです。
また、不器用なので、顔だけでなく、髪をなんとかするのも一苦労です。くるんってやって、アップにするのも苦手だし、編み込みもできません。
さらに、不器用といえば・・・3めの「自分を信じるな」。
実は、ネイルは前日の夜に家でやっておいたのです。
一瞬、「当日でいいか」という声が頭の中をよぎったのですが、ここでもやはり「自分を信じるな」という声に従ったのです。
衣装にあわせた色のネイルは、ふだん透明に近い薄い色のネイルばかり塗っている私にとっては、想像以上の難関でした。
濃い色だと、雑なのがすごく目立つんです。塗り残したところを上から修正しようとして、ムラになって、もう一度塗り直し。
こんどは隅々まで塗ろうと思ったらはみ出て、また塗り直し。三度目の正直でやっとできたと思ったら、きちんと乾く前にどっかに触れてビッてなって段差ができて、また塗り直し・・・・。
塗り直しのたびに、除光液で前に塗ったやつを取り除き、ベースコート+ネイル+トップコートの3過程をやり直さねばならないのです。
あまりにも塗り直しを繰り返したため、このままでは除光液で爪がボロボロになりそうなので、やっと重たい腰をあげてスマホで「ネイル 塗り方」を検索。
もっと早く調べるべきでしたが、それでも、前日にやっといてよかったです。
もし、「面倒だからもう当日に塗っちゃえ」と思っていたら、いったいどうなっていたことやら・・・・。
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そんなことを考えながら、けっきょく30分以上かけて、なんとか準備完了しました。
不思議なことに、そうやって少しずつ身支度をすましていくうちに、家を出たときのソワソワが、次第にワクワクに変わってきたのです。「演奏依頼、受けなきゃよかった」という気持ちが、「やっぱり受けてよかった」に変容していくのは、なんか不思議な感覚でした。
さて、本番までの時間をどうすごしましょうか・・・。
二胡をひくと、部屋の外まで聞こえそうなのでやめました。
かわりに、とにかく身体を動かそうと、大きな鏡の前で、脊椎をクニャクニャしながら踊ったりしました。普段は着ない衣装と自分、そして普段いない新しい場所と自分とをなじませていくような感じで。
変な動きをすると、自然に笑顔になって(一人だから、気兼ねせずできました)、鏡に映る自分をみながら、リラックスできました。
私なりの「成果」(と課題)
さて、本番では話は下手やし、しどろもどろになったりしました。ただ、それはある程度は覚悟のうえでした。
いぜんは、話すことをすべて文章に起こして、印刷して、譜面とセットにして持っていったけど、読むことに一生懸命になったり、どこを読んでいるか分からなくなったりしたので、やがて、年号や名前などのメモ程度にしておいて、あとは、その場その場でしゃべるようにしたのです。
今回の目標は、「聴いている方お一人お一人に届けることを意識すること」。
それさえできればオッケーだと、自分で決めました。
会場となった食堂はかなり奥行きがあり、視力がそんなに良くない私には、遠くに座っている方はぼんやりとしか見えません。
しかし、気持ちだけは、全員を眺める気持ちで演奏したのです。
そういえば、昔、最初に人前でひきはじめた頃は、聴いている方の視線が一斉に集まることに怖さを感じていました。
やがて、アレクサンダー・テクニークの講師養成コースで学び初めた私は、ある日のレッスンで相談してみました。
ある先生は、そういう現象を野球に例えて、「それって、自分に向かって球が一斉に飛んでくるようなものだよね。 怖いのも当然」とおっしゃったのです。
じゃあ、どうするかというと「自分から球を投げてみれば?」と。
つまり、ボールの方向を逆にして、「お客さん→自分」ではなく「自分→お客さん」にする、という発想です。それだと、そんなに怖くないかもしれない・・・?
それ以来、かなり意識が変わってきたような気がします。
自分からボールを投げてみよう、と。
曲のリストの中には、歌を歌いながら弓棹で琴筒を叩いたり(敲弓)、蛇皮を太鼓のように叩いたりするものも入れたので、叩きながら歩いて食堂の一番後ろまで行って、できるだけお一人お一人と目を合わせ、お一人お一人に二胡をお見せするようにしました。
いま思うと、「後ろの方まで届けよう」という気持ちが強いあまり、音が裏返ったり、音程がズレたり、いろいろ反省点はありました。
それについては、次回のブログでまた検証します。
けど、
演奏した私と一緒に歌ってくださった方。
会場に入った時に、「衣装」を見て「きれいねえ」と言ってくださった方。
「あれ、なんの曲やったかなあ」「ああ、レコード聴いてたわ」「懐かしいねえ」
聞こえてきたいろんなつぶやき。
なにもおっしゃらなかったけど、笑顔を向けてくださった方。
皆さんの心に
皆さんの思い出に
私の音が届きますように
そんな、演奏前の目標については、なんとか達成できたような気がします。
着替えを終え、再び家へと向かって自転車を漕ぎだした私は、思わず「終わったあーっ!」って大声で空に向かって叫んだのでした。
↓そのあとゴロゴロしまくった自分みたい・・・